立川に本部を置く宗教法人真如苑が購入した106ヘクタールの日産村山工場跡地。真如苑は広大な敷地を「まず森に戻そう」と基本方針を語っています。そこにどんな森が生まれようとしているのか。第2回は「お手本は明治神宮の森」です。
高層ビルに囲まれた「都心の原生林」
真如苑は仏教系の宗教法人ですから、日産村山工場跡地には「寺院及び付属建築物」が建てられる予定です。その「寺院及び付属建築物」を囲む林苑について真如苑は、「明治神宮の森こそプロジェクトMURAYAMAが目指すべき森」と語っています。
明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后が祀られている神社で、77ヘクタールの広大な森(内苑)に囲まれています。明治神宮の森は高層ビルと繁華街に囲まれた「都心の原生林」として多くの人々から親しまれています。
ではなぜ明治神宮の森が、プロジェクトMURAYAMAのお手本となったのでしょうか。
「残した」のではなく「造った」
「これほどの森が大都会の真ん中によく残されたものだ」。明治神宮の森を見た多くの方がそう感心されます。実は、それは間違いです。
明治神宮の森は「残した」のではありません。「造った」のです。
1914年(大正3年)、代々木御料地に明治天皇を偲んで神宮が建てられることが決定されました。当時代々木御料地の周辺には、わずかな畑地と草地や沼地などの荒れた土地が広がっていたと言います。この荒地を森に変えなければなりません。
はたして明治神宮にはどんな森がふさわしいのか。翌年には、林学博士の本多静六氏、造園家の本郷高徳氏、造園学の上原敬二氏など、当時の日本を代表する錚々たるメンバーが集められ、「明治神宮造営局」が発足。造園計画が立案されました。
100年かけて原生林を再生する
彼らはカシ、シイ、クスノキなどの常緑広葉樹を中心として「100年かけて、原生林を再生する」という壮大な目標を掲げます。カシ、シイ、クスノキは、元々武蔵野の地に自生していた常緑広葉樹です。
各種の常緑広葉樹の混合林を再現することができれば、人手を加えなくても自然に更新する「永遠の森」が生まれると考えたからに他なりません。
造営工事は1915年(大正4年)から始まりました。全国から植樹する木を奉納したいとの申し出が相次ぎ、北海道や九州沖縄からはもちろん、当時日本の領土であった樺太(サハリン)や台湾からも献木が集まったと言います。
その数は10万本にも及び、延べ11万人の勤労奉仕の人々によって、代々木の森に植えられました。
当時樹木の数は365種類でしたが、東京の気候にそぐわない種類もあり、現在は234種類になっています。
現在、豊かに大きく成長した明治神宮の森には食物連鎖の生態系ピラミッドが生まれ、その頂点にオオタカが君臨し、見事な環境が構築されています。
壮大なグランドデザインと心意気
真如苑はプロジェクトMURAYAMAの中でこう語っています。
「宗教的な建築物や宗教的なエリアは、非常に長い時間をかけて造営されていることが多く、そういう意味で、この場所も世代をまたいで、何百年もかけて築く心意気をもっていこうという方向性が決まりました」
「自然の生態系を蘇らせるためには、森自体が、きちんと自立し、持続可能な状態を維持できるように作っていく必要があります」
つまり明治神宮の森という素晴らしい前例があったからこそ、プロジェクトMURAYAMAの基本構想は生まれたと言えるのではないでしょうか。
大正初期の日本人が、当時の英知を結集してつくり上げようとした「明治神宮の森」。そこにあるのは、森づくりへの明確なビジョンと、100年先を見据えた壮大なグランドデザインです。
日産村山工場跡地に生まれる新しい森も、100年後の日本人が誇りに思えるような素晴らしいものであってほしいと願います。
参考資料・ウェブサイト
プロジェクト MURAYAMA
武蔵村山市「日産村山工場跡地」
明治神宮公式ウェブサイト
ナショナルジオグラフィック日本版「鎮守の森に響く永遠の祈り」
NHKスペシャル「明治神宮不思議の森」
連載
日産村山工場跡地には何ができるのか?第1回「まずは森に戻そう」
日産村山工場跡地には何ができるのか?第3回「運慶作大日如来像」