月別アーカイブ: 2017年10月

西砂川ニュース:映画シン・ゴジラの舞台となった「内閣府災害対策本部予備施設」を特別公開

 

立川市は、映画「シン・ゴジラ」(東宝)の舞台となった「内閣府災害対策本部予備施設」を11月23日(祝・木)に公開します。

「内閣府災害対策本部予備施設」は広域防災基地内にあり、災害の発生時に都心部が機能不全になった時に利用される施設です。

映画では、ゴジラ対策を協議するシーンに使われました。

昨年初めて一般公開したところ、40人の募集に対し971人の応募があり、倍率は20倍以上に。抽選に漏れた人たちから再度の公開を望む声が相次ぎ、今年の実施を決めたものです。

見学は所要時間が30~45分で、内閣府の担当職員が実際に対策室となる部屋を案内します。

前回は2回の実施でしたが、定員を増やすため、今回は午後1時、午後2時、午後3時からと3回実施。各回の定員は20人です。

往復はがきに最大で2人までの氏名、住所、年齢、電話番号、希望する回を記入し、〒190-8666立川市泉町1156の9 立川市産業観光課観光振興係へ。締め切りは10月31日(火・必着)。応募多数の場合は抽選となります。

なお当日は陸上自衛隊立川駐屯地で、毎年恒例の駐屯地開放行事「立川防災航空祭」も開催されます。(新着情報はこちらをクリック)

西砂川ニュース・青少健:伝統行事松明祭りに使われる麦を今年も西砂小・松中小の子どもたちが育てます

西砂川の伝統行事、松明祭りで使われる松明の麦わらは、毎年地域の小学生が麦まきをして大切に育てた麦から作っています。

今年も10月24日(火)西砂小学校の子どもたち9:30〜、松中小学校の子どもたち10:40〜のスケジュールで、松明伝承保存会の高橋さんの畑で行われます。

まだだいぶ先の話ですが、来年夏に開催される「ふれあい松明祭り」にご期待ください。

 

西砂川ニュース:「立川立飛流鏑馬(やぶさめ)」を11月19日(日)に開催 立見席を無料解放

 

立飛ホールディングスは、「立川立飛流鏑馬(やぶさめ)」を開催いたします。

古来から伝承されている弓具、装束、馬具等を使用した、本格的な流鏑馬を間近で見る絶好の機会です。

流鏑馬は、馬を馳せながら弓を引き、鏑矢を射放つことです。

平安中期には、朝廷の警護にあたった武者などにより宮中の儀式として行われていました。

鎌倉に幕府が開かれてからは、流鏑馬は武士の士気を上げるために行われる等、重要な儀式として盛んに行われてきました。

日本の伝統文化に触れるイベントを、ご家族でお楽しみください。

【立川立飛流鏑馬】
名  称:立川立飛流鏑馬
開催日時:平成29年11月19日(日)10:00~、13:30~(入替制)
開催場所:株式会社立飛ホールディングス みどり地区特設会場
(立川市緑町3-1 サンサンロード沿い)
主  催:立飛ホールディングス
後  援:立川市、立川市教育委員会、立川市体育協会、立川弓道会、立川商工会議所 、立川市自治会連合会、立川観光協会、立川市商店街振興組合連合会、
立川市社会福祉協議会、立川青年会議所
英語解説:ロバート キャンベル氏
特  色:
(1)約300mの馬場を設けて実施
(2)午前と午後の2回実施(観覧は入替制)
(3)鎌倉時代からの流鏑馬の伝統を受継ぐ「弓馬術礼法 小笠原教場」による執行
立 見 席:立見席を定員まで無料開放します。着座観覧席の一般販売はありません。

西砂川ニュース:アリーナ立川立飛へ”初陣”アルバルク東京 10月14日15日ビー・コルセアーズ横浜を連破!!

 

バスケットボール男子Bリーグに所属するアルバルク東京のホームゲームがアリーナ立川立飛で10月14日(土)15日(日)の両日行われました。

アルバルク東京は対戦相手のビー・コルセアーズ横浜を、14日79-58、15日82-57と圧倒。通算成績を5勝1敗としました。

アリーナ立川立飛ではアルバルク東京のホームゲームを今シーズン26試合開催する予定です。

リンク
アルバルク東京公式ウェブサイト

男子バスケットボールBリーグ公式ウェブサイト

西砂川ニュース:日産村山工場跡地には何ができるのか?第2回「お手本は明治神宮の森」

 

立川に本部を置く宗教法人真如苑が購入した106ヘクタールの日産村山工場跡地。真如苑は広大な敷地を「まず森に戻そう」と基本方針を語っています。そこにどんな森が生まれようとしているのか。第2回は「お手本は明治神宮の森」です。

高層ビルに囲まれた明治神宮の森 人工の森である
日産村山工場跡地では造成工事が進む この辺りが森に生まれ変わる
マップのF2地区近辺 用途は「林苑、寺院及び付属建築物」

高層ビルに囲まれた「都心の原生林」

真如苑は仏教系の宗教法人ですから、日産村山工場跡地には「寺院及び付属建築物」が建てられる予定です。その「寺院及び付属建築物」を囲む林苑について真如苑は、「明治神宮の森こそプロジェクトMURAYAMAが目指すべき森」と語っています。

明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后が祀られている神社で、77ヘクタールの広大な森(内苑)に囲まれています。明治神宮の森は高層ビルと繁華街に囲まれた「都心の原生林」として多くの人々から親しまれています。

ではなぜ明治神宮の森が、プロジェクトMURAYAMAのお手本となったのでしょうか。

原宿の喧騒から5分も歩けば静寂の世界へと抜ける
100年前の日本人が残してくれたもの
落ち葉などは全て堆肥として土に還元される

「残した」のではなく「造った」

「これほどの森が大都会の真ん中によく残されたものだ」。明治神宮の森を見た多くの方がそう感心されます。実は、それは間違いです。

明治神宮の森は「残した」のではありません。「造った」のです。

1914年(大正3年)、代々木御料地に明治天皇を偲んで神宮が建てられることが決定されました。当時代々木御料地の周辺には、わずかな畑地と草地や沼地などの荒れた土地が広がっていたと言います。この荒地を森に変えなければなりません。

はたして明治神宮にはどんな森がふさわしいのか。翌年には、林学博士の本多静六氏、造園家の本郷高徳氏、造園学の上原敬二氏など、当時の日本を代表する錚々たるメンバーが集められ、「明治神宮造営局」が発足。造園計画が立案されました。

代々木御料地にはわずかな樹木しか生えていなかったという
樺太や台湾を含め全国から10万本を超える献木があった
勤労奉仕の人々に支えられた事業であった
この風景から100年後の現在を想像できるだろうか

100年かけて原生林を再生する

彼らはカシ、シイ、クスノキなどの常緑広葉樹を中心として「100年かけて、原生林を再生する」という壮大な目標を掲げます。カシ、シイ、クスノキは、元々武蔵野の地に自生していた常緑広葉樹です。

各種の常緑広葉樹の混合林を再現することができれば、人手を加えなくても自然に更新する「永遠の森」が生まれると考えたからに他なりません。

造営工事は1915年(大正4年)から始まりました。全国から植樹する木を奉納したいとの申し出が相次ぎ、北海道や九州沖縄からはもちろん、当時日本の領土であった樺太(サハリン)や台湾からも献木が集まったと言います。

その数は10万本にも及び、延べ11万人の勤労奉仕の人々によって、代々木の森に植えられました。

当時樹木の数は365種類でしたが、東京の気候にそぐわない種類もあり、現在は234種類になっています。

現在、豊かに大きく成長した明治神宮の森には食物連鎖の生態系ピラミッドが生まれ、その頂点にオオタカが君臨し、見事な環境が構築されています。

明治神宮の森における生態系の頂点に君臨するオオタカ

壮大なグランドデザインと心意気

真如苑はプロジェクトMURAYAMAの中でこう語っています。

「宗教的な建築物や宗教的なエリアは、非常に長い時間をかけて造営されていることが多く、そういう意味で、この場所も世代をまたいで、何百年もかけて築く心意気をもっていこうという方向性が決まりました」

「自然の生態系を蘇らせるためには、森自体が、きちんと自立し、持続可能な状態を維持できるように作っていく必要があります」

つまり明治神宮の森という素晴らしい前例があったからこそ、プロジェクトMURAYAMAの基本構想は生まれたと言えるのではないでしょうか。

大正初期の日本人が、当時の英知を結集してつくり上げようとした「明治神宮の森」。そこにあるのは、森づくりへの明確なビジョンと、100年先を見据えた壮大なグランドデザインです。

日産村山工場跡地に生まれる新しい森も、100年後の日本人が誇りに思えるような素晴らしいものであってほしいと願います。

森と水 脇を流れる残堀川も蘇ってほしいと願う

参考資料・ウェブサイト
プロジェクト MURAYAMA
武蔵村山市「日産村山工場跡地」
明治神宮公式ウェブサイト
ナショナルジオグラフィック日本版「鎮守の森に響く永遠の祈り」
NHKスペシャル「明治神宮不思議の森」

連載
日産村山工場跡地には何ができるのか?第1回「まずは森に戻そう」
日産村山工場跡地には何ができるのか?第3回「運慶作大日如来像」