日産村山工場跡地は2002年に売却され、そのうちの75%に当たる106ヘクタールを購入したのが、立川市に本部を置く宗教法人の真如苑でした。
真如苑は日産村山工場跡地の活用にどのような構想を持っているのでしょうか。第1回は「まずは森に戻そう」です。
プロジェクトMURAYAMA
日産村山工場跡地については、日産自動車、東京都、立川市、武蔵村山市、真如苑で構成される「日産自動車村山工場跡地利用協議会(五者協議会)」により、2006年に「プロジェクトMURAYAMA」の整備基本計画概要が公表されています。
まずは「プロジェクトMURAYAMA」の整備基本計画概要から、全体構想を見ていきましょう。下のマップをご覧ください。
商業施設として、イオンモールむさし村山店(Aエリア)やカーミナル東京(Bエリア)、公共施設として武蔵村山病院(Cエリア)とプリンスの丘公園(D2エリア)、その他施設としてわらべや日洋東京工場(D1エリア)などは、もうだいぶ前から営業していますので、みなさんにも親しまれていると思います。
残りの地区の106ヘクタールが真如苑の所有となります。相当な広さですね。東京ドーム23個分だそうです(そう言われてもピンと来ませんが)。
スポーツ施設が次々オープン
そのうちのD1エリア、E1エリアの東側3.8ヘクタールは、2015年に武蔵村山市に譲渡されました。武蔵村山市では公共施設建設予定地として考えているようです(ここへ市役所移転の噂も・・・)。
また真如苑所有地でも一部活用が始まっています。
旧日産通りに面したG1エリアでは野球グラウンド4面と体育館を擁する「真如苑グラウンド」がオープン(日産より承継し改築)。武蔵村山市や立川市の体育協会などを通じて、地域住民に無償で貸し出されています。
2013年にはG2エリアには、全面天然芝のサッカーグラウンド「真如苑芝生ひろば」がオープンし、こちらもサッカーやイベント会場として地域住民に無償で貸し出されています。
きちんと自立し持続可能な森とは
武蔵村山市へ譲渡された土地やスポーツ施設エリアを除き、F1・F2エリア「林苑・寺院及び付属建築物」となります。
林苑・・・すなわち樹木の繁った庭園です。真如苑はどんな林苑をつくろうと考えているのでしょうか。
真如苑はこう言っています。「まず森に戻そう」と。
「宗教的な建築物や宗教的なエリアは、非常に長い時間をかけて造営されていることが多く、そういう意味で、この場所も世代をまたいで、何百年もかけて築く心意気をもっていこうという方向性が決まりました」
「自然の生態系を蘇らせるためには、森自体が、きちんと自立し、持続可能な状態を維持できるように作っていく必要があります」
つまり真如苑の林苑は、国営昭和記念公園のように人間の手で再生維持されている”人工の森”とは異なり、”きちんと自立し、持続可能な森”を目指していると言えましょう。
そしてこのプロジェクトには、一つの大きな目標となる日本の森がありました。(第2回へ)
参考資料・ウェブサイト
プロジェクト MURAYAMA
武蔵村山市「日産村山工場跡地」
武蔵村山市議すどうひろしのページ
連載
日産村山工場跡地には何ができるのか?第2回「お手本は明治神宮の森」
日産村山工場跡地には何ができるのか?第3回「運慶作大日如来像」
素晴らしい未来構想ですね。林苑構想、受け継がれながら築いていく希望溢れる未来が何世代もかけ橋渡ししながらず~っと繋がって行ってほしいです。
島田さま
ご高覧いただきありがとうございます。今後ともお引き立てのほどよろしくお願いいたします。
日産工場があった時、日本の経済は世界に誇れる時代でした。夜、遠くに見える日産工場のオレンジ色に輝く一直線のネオンを見ながら、輝かしい未来を想像してましたが、バブルが弾けた頃から日産工場の輝きは失われ、ただの夢を見せられていたと虚しい気持ちになりました。
ですが、その土地の土壌を20年以上かけて改良し、自立した森へと作り上げるという構想を知り、本来人間や動物がもつ生命エネルギーを復活させてくれるのではないかと思うような、そんな希望を感じました。壮大な計画にワクワクします。これが人間の目指すべき未来なのではないでしょうか。
淺見さま
ご高覧いただきありがとうございます。今後ともお引き立てのほどよろしくお願いいたします。